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発見から今日まで(作業中)

はじめに

  液晶の発見は19世紀末の1888年のことです。今日では、液晶という言葉は日常的にも目にするものとなっています。どういう経路を経て今日のようになったのか、そして、これからどうなるのかについて勝手な話を展開します。なお、液晶の発見から今日までの歴史については、その名も「液晶の歴史」(D. ダンマー、T. スラッキン著、鳥山和久訳、朝日選書(2011))という本があり、以下の記述もこの本に頼っているところが多々あります。また、この本の著者が編集にかかわている「Crystal That Flow」という表題の液晶研究の記念碑的な論文を集めた本もあり、それも液晶研究開発の歴史を理解するのには有用です。

液晶の発見

 液晶は1888年にオーストリアの植物学者Reinitzerにより発見されたことになっています。現在の知見からは液晶であるとされている物質はそれ以前にも報告されているのですが、その状態が、結晶と液体の中間状態であることを示したのがReinitzerです。

 化学者でも物理学者でもなく植物学者が液晶を発見したと言われると不思議な気もするかと思います。Reinitzerは植物学者といっても、野山を駆け回って新種の植物を探すような研究者ではなく、植物生理学者で研究内容は化学的なものでした。彼の研究対象は人参などの植物性ステロール(フィトステロール)で、その第1段階として構造を明らかにすることを目標にしていたようです。s

 液晶発見に関する論文はドイツ語で書かれていますが(F. Reintzer, Monatshefte 9(1888)421.)、英訳がLiquid Crystal誌に掲載されています(F. Reintzer, Liquid Crystals 5(1989)7.)。論文では対象物質はフィトステロールではなくハイドロカロテンという名称で記されています。人参に含まれているフィトステロールの量はすくなく入手性が悪いため、予備実験もかねて、入手性のよりよい動物性ステロール(コレステロール)の分子式の決定を行おうとしています。

 19世紀末の実験室には交流電源は供給されていません。大型の研究施設には電池による直流の供給はあったかもしれませんが、あまり一般的ではないようです。もちろん、電子機器類は一切ありません。一方、燃焼法による元素分析は19世紀の中頃までには開発されていましたし、また、物質を気化できれば、PV=nRTの理想気体の式を用いて、常圧下での温度と体積の計測により、試料の質量が何モルに相当するのかを評価できていました。当時、コレステロールの分子式として一般的に提唱されていたのは、C26H44OでこのほかC25H42Oという主張もなされていました。これらは現在の知見からは両者とも正しくないものです。

 提唱されているコレステロールの組成の不一致に興味を持ったReinitzerはコレステロールの分子構造を研究するにあたって、まず純度の高いコレステロールを入手しています。コレステロールの主な原料は羊から採られたラノリンなのですが、Reinitzerが用いたのはコレステロール胆石でした。論文中でReinitzerは胆石の方がラノリンより純度が良好であると主張しています。とはいえ、コレステロール胆石のコレステロール含有率は100%ではなので、精製する必要があります。当時の精製手段は再結晶でした。残念ながらコレステロールの結晶性はよくないので、単体では再結晶による精製が行えません。何かの分子を組み合わせて、適当な有機溶媒に溶解して再結晶が可能なコレステロール誘導体とする必要がありました。Reinitzerは酢酸コレステロールの臭化物を用いて、再結晶による精製をおこない、その試料を分析して、コレステロールの組成としてC27H44Oという正しい値にたどり着き、それを確証するために、他の様々な誘導体を作って検討を重ねています。そして、合成した誘導体の中に加熱により二重の融点を示すものを見出しました。

 通常の結晶は、加熱して溶けると透明な液体になります。ところが、コレステロール誘導体は加熱して溶けても透明ではなく、白濁した流体となり、さらに過熱すると、透明な液体に変化します。この白濁した流体の時に着色現象がみられます。酢酸コレステロールでは高温の透明な液体から温度降下にともなって、まず鮮やかなエメラルドグリーンが現れ、続いて、青緑、深い青を経て黄緑、橙から赤を経て最終的には鮮やかな赤になることが観察されました。そして、さらなる降温で、色は消失して球晶が発生し全面に広がっていきます。また、安息香酸コレステロールでも、どうような順番での一連の着色現象が観察されmさうが、それに先立って、高温側で深い青紫がいったん表れて、消失することを見出しています。酢酸コレステロールにも見られる一連の発色はコレステリック液晶の選択反射によるものです。また、安息香酸コレステロールの高温側の深い青紫の発色はコレステリックブルー相によるものであることが、現在では知られています。、

 コレステロール誘導体の着色現象を観察したのはReinitzerが最初ではなく、それ以前にも報告はされています。たとえば、Raymannも同様の色調変化を観察していますが、彼は着色は流動状態ではなく固化後に生じたものであると判断しました。また、着色機構についての踏み込んだ言及はされておらず、結晶と液体の中間状態という指摘も行われませんでした。

 それに対して、Reinitzerは着色現象が本質的なことであり、物理的な異方状態の存在が関与していると考え、ドイツの物理学者であるLehmannに相談しました。Lehmannの手元には室温以上の温度で試料観察が可能な偏光顕微鏡がありました。現在では、顕微鏡に組み合わせられるホットステージが市販されていますが、当時はそんなものはありません。電源も一般的に使えるものではありません。 Lehmannのホットステージはガスを熱源とするものでした。 Lehmannは白濁した流体を偏光顕微鏡で観察し、結晶のように複屈折性を示す流体であることを見出し、結晶と液体の中間状態として、液晶という名称を与えました。

 液晶の存在はすぐに認められたわけではありません。理由の一つは、生体由来の物質を原料としていることで、不純物があり、コロイド溶液になっているのではないかとの疑念されていました。その後、完全に化学合成された分子でも液晶状態が確認されて液晶状態が認知されたのは20世紀になってからのようです。

液晶の分類・初期の理論

 

日本への液晶の紹介

 1888年は明治21年


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